ベル・エポックを映したアニメーション『ディリリとパリの時間旅行』

フランスの芸術家の名前を挙げるとしたら誰が思い浮かぶだろうか。画家にはモネにルノワール、マティスなど、彫刻家にはロダンやその弟子のクローデル、作家ではプルーストやブルトン、コクトー、作曲家ではドビュッシーやラヴェルなど枚挙に暇がない。彼らは皆パリの黄金時代すなわちベル・エポック1に活躍した。また、パリにはフランス国外からも芸術家が集まり、ピカソやモディリアーニなども制作に勤しんだ。この美しき時代を舞台にした映画作品にはウディ・アレン監督作の『ミッドナイト・イン・パリ』(2011年)がある。2000年代に生きる主人公の男性が、1890年代から1920年代を何度もタイムスリップする物語と言えるだろう。
今回取り上げる『ディリリとパリの時間旅行(原題:Dilili à Paris)』(2018年)もほとんど同じ時代を舞台とするが、主人公は同時代に生きる小さな女の子ディリリである。本作品は『キリクと魔女』(1998年)で本国フランスにて大ヒットを生み出したミッシェル・オスロ監督が手がけた。議論される点の多いこのアニメーション映画について、音楽面を中心に作品を紹介したい。

芸術や文化が興隆した時代、ニューカレドニアからパリへ向かう船にこっそりと乗り込んだ好奇心旺盛なディリリという女の子がいた。彼女は船内で出会ったマダムに助けられ無事に到着する。配達人の青年オレルと出会い、街で起きている怪しい事件を知る。彼と共に、さまざまな業界の著名人たちの協力を得ながら、囚われた少女たちを救うべく奮闘する。

美しいパリの風景のなかで素晴らしい芸術家たちに出会う


まず、冒頭わずか10分足らずで私たちは主人公とともにピカソやマティスなど今もなお人気の芸術家たちに出会う。その後も芸術家、文化人、研究者などありとあらゆる分野で活躍した人々の登場に興奮が冷めることはないだろう。今回、これまでの監督作品と少し作風が異なるのは、先述のように数多くの画家が登場する点にあると言える。彼らの画風に合わせ登場人物たちの顔が描き分けられているのだ。一つの例を挙げると、ロートレック2が登場する場面では、例えば赤いマフラーの肖像画で知られているシャンソン歌手3をはじめ、台詞のない観客たちも絵画からそのまま出てきたかのように登場する。ディリリは出会った人々の名前をノートにメモする習慣があるのだが、ノートに書かれた著名人だけでなく、画面を隅々まで見ると当時活躍していた人物が隠れていることに驚くだろう。
また、登場人物を彩る美しい舞台も物語の大きな要素となる。スクリーン上では現実の景色とアニメーションが同時に存在している。本作品のパリの背景は、監督自らがカメラで収めたものである。時代に合わせ外観など加工が施されているが、実際のパリの風景だからこそアニメーション映画に新しい息吹を与える。アニメーションの語源はラテン語の魂や生命を表す「anima」、フランス語では「animer」は「生命を与える」という意味の動詞になる。街の景色が100年前とそう大きく違わないパリゆえに、アニメーションの中に現れる実物の街が、邦題のごとく観客を当時へとタイムスリップさせるかのようだ。これがアニメーション故に見られる効果ではないだろうか。

私たちの中にいる「ディリリ」


ディリリはパリに着くとカナック民族4の一人として万博の展示に参加していた5。一見、とある先住民族の暮らしの場面かと思う最初のシーン。ズームアウトすると、動物を囲うような柵があり、彼らを見ている白人、その後ろに立つエッフェル塔というように徐々に実態が明らかになっていく。見世物として人々に観察された彼女は「次は私が見る番よ!」と声高に宣言する。それは好奇心からの明るさとも見てとれるが、彼女の賢さを表す最初の場面でもあるだろう。出会う人々にいつも丁寧な挨拶を欠かさない。「私はディリリと言います。お会いできて光栄です。(Je m’appelle Dilili. Je suis heureuse de vous rencontrer.)」小さな女の子からは想像しがたい言葉だ。身に纏った白いドレスの裾をささやかに持ち、少し膝を曲げて会釈する姿は、可憐さが残る立派なお嬢さんである。このような彼女の聡明さは、危険な場面で咄嗟の対応ができる勇敢さにも見られるだろう。ディリリが船内でマダム・ミシェルことルイーズ・ミシェル6に教育を受けたのに対し、「男性支配団」に囚われた少女たちは彼らの奴隷となるべく教育された。何も知らないままの状態では考えることも難しいが、学びは解決策を見つける力となりうることを、ディリリの姿を通して再確認させられる。

マダム・ミシェルとの幸運な出会いから彼女の聡明さが開花し、友人オレルと協力して事件解決へと勇敢に立ち向かう姿はいかにも主人公といったところだ。しかし、カナックとフランスのルーツをもつディリリは、双方の場でよそ者扱いを受けることを吐露する。我々が海外で自分自身をよそ者と感じるのと似て、疎外感は寂しさを生じさせる。教育で培った精神的なたくましさが盾になろうと、それが崩れ落ちることも当然あるだろう。両親のことを知らない彼女は抱擁(câlin)7も知らず、抱きしめられると「この作法が好き」と言う。子供なら誰しも自然と受けるはずの愛情表現である。好奇心旺盛な女の子として明るく映る部分もあるが、愛を求め、夢を抱く小さな女の子の姿は誰しもが持っているものに違いない。たとえ肌や目、髪の色が違おうとも、はたまた別の時代に生まれようとも、私たちの心には「ディリリ」がいる。


音楽から考える物語のテーマ


  1. テーマ曲 Le soleil et la pluie

前章までに少し触れたように、この作品は移民、植民地などの単語で議論することもできるだろう。あらゆる社会的テーマを、常にあたたかな視線と美しい芸術への敬意を持って表現したのがオスロ監督である。

劇中歌にもあるテーマ曲は、救われた少女たちとディリリ、オレル、そしてオペラ歌手のエマ・カルヴェが歌う。子供向けと思われるだろうが、誰にとっても易しい単語で紡がれた歌詞からも、作詞した監督の深い慈愛に満ちた眼差しが感じられる。音楽はガブリエル・ヤレドが作曲しており、同じメロディが何度も戻ってくるという明快な交互構成となっている。前半はリフレインと呼ばれる同じ内容のもの、後半はヴァースと呼ばれる各節で内容が異なるものが置かれる。以下に載せた歌詞の青色部分がリフレイン、赤色部分がヴァースである。リフレインは「太陽と雨、昼と夜、花と果実、彼と彼、彼女と彼女、彼女と彼」と続く。

では、内容の異なるヴァースについて着目したい。1番目は、リフレインの続きのように、「君と私、彼らと私たち」と自分の近くの人々から始まる。そして、遠い国にいる人や肌の色が異なる人へと移る。2番目には小さな子供には少し難しいであろう単語「スルタン(権力者)と物乞い(あるいは一文無し)」、続く単語が「召使と王様、魔女と妖精」なのでこのひとかたまりがおとぎ話を想起させる。3番目は「ママ、パパ」と家族にまつわる単語が出てくる。最後の4番目は「綺麗な人、醜い人、賢人、狂人、子供と大人」と性質を表す形容詞が用いられる。つまり、最初は自分をはじめ友達を含む身近な人から遠くへと視点が移り、おとぎ話の想像上の人物へと広がる。再び身近な関係の家族へと戻り、あるいは子どもにとって初めて大人と関わる関係へと移り、最後にさらに多様な人々が登場する。わたしたちが成長し、人間関係も含めて広がっていく世界を思わせる。ヴァースの最後は「みんな一緒に」という歌詞で共通している。誰もが平等というメッセージを受け取れるような、教育的な姿勢を感じられるかもしれない。しかし、映画を見終わったあとこれらの歌詞は自然に心に溶け込んでくる。

 2. 作中に登場する音楽作品について

本アニメーションでは、現役オペラ歌手のナタリー・デセイがオペラ歌手のカルヴェ役として歌唱を披露している。彼女が歌う作品を含め、主に劇中に登場する作曲家たちとともに演奏される作品について考えてみる。以下、登場順で紹介する。

1. クロード・ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》(1898年作曲)8

第3幕第1場での美しいメリザンドのアリア9をカルヴェが歌い上げるシーン。ここはカルヴェを演じたナタリーの歌声を披露する場面で間違いないと言えるだろう。ドビュッシーが作曲の再考の意を伝えその場を後にしたことから、作品は完成前だと読み取れる10

2. ジョルジュ・ビゼー《カルメン》(1875年)

抱擁を知らないディリリに、カルヴェが子守唄のように聴かせる場面。最後に歌の上手なオレルもハーモニーに参加する。こちらも前出曲と同様、歌唱を堪能できるシーンと言えるだろう。配達人のオレルがディリリと同じように、たくさんの夢を持っていることがわかる場面でもある。

3. ジャック・オッフェンバック《地獄のオルフェ》より〈カンカン〉(1858年)

日本語では「天国と地獄」の名前でも知られているこの曲は、もちろんムーラン・ルージュのキャバレーのシーンで、ロートレックの作風とともに聴かれる。まるで彼の描いたポスターが生きているようだ。 

4. エリック・サティ《3つのグノシエンヌ》より第1番(1890年)

前曲の場面からバーへと移動してきたシーンで、道化師のショコラ11がサティの演奏するこの曲とともに踊りを披露する12。最初の場面でも提示されているように、この時代の黒人芸術家は稀な存在であることは視覚的にわかる。そうした状況下で、フランスにおいて活躍した彼が《グノシエンヌ》に合わせて踊る場面は怪しげな雰囲気を伴う。バーでは「男性支配団」の密会が行われ、その内容をこっそりと聞きつけるためにディリリたちがやってきた、緊張感のある場面だ。「グノシエンヌ」という語はギリシャ語の「知ること」から由来した造語とも言われており、この場面を音楽的に暗に仄めかしていると言える。音が持つ危うい雰囲気とこの場面は同じ効果を持つ。

5. レイナルド・アーン《初めてのワルツ》より〈ワルツ 第5番〉(1898年)

「ショパンの夢のような影に(À l’ombre rêveuse de Chopin)」という副題とともにあるこのワルツは、アーンがプルーストの隣で演奏をしているシーンで見られる13。ピアノを弾く作曲家の肩に優しく手を置き「魅力的だ」と感想を述べる穏やかで甘いひとときだ。この作品を含むワルツ集は全体を通して軽やかな印象を持つ。その中でこの第5番は他のワルツと比べて短調が強く感じられる。低音の三拍子に同性愛の苦しい秘密を思わせ、転調がこれから始まる二人の親密な関係を想起させるようだ。

これらの音楽作品からいくつか考えられる点がある。例えば作曲年数について、こうして列挙することでこの作品がどの時代を舞台にしているかが推定できる。ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》の作曲過程が見てわかるのも興味深い。改めてこの時代に素晴らしい作品が生まれたことがわかる。音楽の使われ方も決して背景としての役割はしていないだろう。音楽の美しい調べだけではなく、その作品の背景も映画の各場面に影響していると言えるのではないか。

最後に


『ディリリ』を通して私たちは黄金時代を体験し、現在に至るまでの道筋を同時に感じられる。経験することのない過去の黄金時代も、確実に今に繋がっている。例えば日本に住む私たちとも決して隔絶しておらず、同じ線上に生きているという発見と喜びを感じられる作品である。本作品はその情報量ゆえ人によって観点も様々だろう。ある人は人種的問題についての目線を持ち、ある人は芸術文化の美しさに惹かれる。当時の建築様式や洋服に魅了される人もいるだろう。ぜひ、それぞれに感じた部分を大切に鑑賞していただきたい。

作品情報


監督:ミッシェル・オスロ
フランス/ドイツ/ベルギー/2018年
脚本:ミッシェル・オスロ

キャスト:プリュネル・シャルル=アンブロン、エンゾ・ラツィト、ナタリー・デセイ
(日本語吹き替え版)新津ちせ、斎藤工

音楽:ガブリエル・ヤレド
編集:パトリック・デュクリュエ

アニメーション:マック・ガフ(アニメーションスタジオ)、レ・フェ・スペシャル(アニメーションスタジオ)

Dilili à Paris
Réalisation : Michel Ocelot
France/Allemagne/Belgique/2018
Scénario : Michel Ocelot
Interprétation : Prunelle Charles-Ambron, Enzo Ratsito, Natalie Dessay
Musique : Gabriel Yared 
Montage : Patrick Ducruet
Animation : Mac Guff, Les fées spéciales

  1. 19世紀末から20世紀初頭のフランスで、芸術や文化が興隆した時代を表す言葉。フランス語で「美しき時代」を意味する。
    ↩︎
  2. アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)フランスの画家。「シャ・ノワール(黒猫)」や「ムーラン・ルージュ」などのキャバレーでの様子を描いた。
    ↩︎
  3. アリスティド・ブリュアン(1851-1925)フランスのシャンソン歌手。その前は鉄道員だった異色の経歴を持つ。
    ↩︎
  4. 太平洋南部に位置するニューカレドニアの先住民族
    ↩︎
  5.  植民地の展示を行い「人間動物園」と批判があった1889年開催のパリ万博が考えられる。

    ↩︎
  6. ルイーズ・ミシェル(1830-1905)教育者としてフランスで学校も設立したが、社会運動への参加により本土追放される。ニューカレドニアでの滞在中、著作を発表し、さらに現地のカナック人に教育を与えようとした。1895年にフランスへ戻った。
    ↩︎
  7. フランス語では「抱擁する」はfaire un câlinと表現し、「ハグ(bise)」よりも親密な意味を持つ。
    ↩︎
  8. メーテルリンクの同名の戯曲を元にしたオペラ作品。初演はオペラ・コミック座にて1902年に行われた。
    ↩︎
  9. 第3幕第1場「私の長い髪は落ちる」 城の塔から長い髪を溶かすメリザンド。その下にいたペレアスが彼女の髪の美しさを讃え、二人が戯れる。 ↩︎
  10. ドビュッシーは完成稿を1895年8月17日までに書き上げている。(村山『メーテルランクとドビュッシー』p.150) ↩︎
  11. フランスで黒人初となる道化師。元奴隷としてキューバで生まれた彼の本名はラファエル・パディーヤ(Rafael Padilla,1865/68-1917)、白人道化師のフティットとコンビを組み道化師として活躍した。彼の人生を描いた伝記映画『ショコラ〜君がいて、僕がいる〜(原題:Chocolat)』(2016年)もある。
    ↩︎
  12. ロートレックが描いた《バーで踊るショコラ》(1896年)を想起させる。
    ↩︎
  13. 歌曲を多く作曲したベネズエラ出身のアーンは、この場面にあるように画家のマドレーヌ・ルメーアの家で1894年にプルーストと出会い、交友関係が続いた。
    ↩︎

参考


村山則子(2011)『メーテルランクとドビュッシー 『ペレアスとメリザンド』テクスト分析から見たメリザンドの多義性』 作品社

Le soleil et la pluie
Dilili à Paris – Chantons Le soleil et la pluie

クロード・ドビュッシー 《ペレアスとメリザンド》第3幕第1場
Sabine Devieilhe performs “Mes longs cheveux descendent” from Debussy Pelléas & Mélisande

ジョルジュ・ビゼー 《カルメン》
Gustavo Dudamel conducts Bizet’s Carmen at his inaugural concert at the Opéra de Paris

ジャック・オッフェンバック《地獄のオルフェ》より〈カンカン〉
Offenbach – Infernal Galop from “Orpheus in the Underworld” (Orchestre de Paris)

エリック・サティ《3つのグノシエンヌ》より第1番
Satie: Gnossienne No. 1

 レイナルド・アーン《初めてのワルツ》より〈ワルツ 第5番〉
Eric Le Sage – À l’ombre rêveuse de Chopin (Reynaldo Hahn – Premières valses)