『たそがれの女心』マックス・オュルス
━ 回転と変容に魅せられて②


この映画には3つの「回転」運動がある。1つ目の耳飾り、2つ目の人物のダンスや動線についてはすでに見た通りだ。そして最後はカメラの移動である。冒頭でも少し触れたように、カメラはつねに人物の動きを追っている。ルイーズが室内を歩き回るとカメラも一緒に彼女についてまわり、彼女が足早になればカメラの移動もすばやくなる。その動きにぎこちなさは一切感じられず、カメラは人物と連動しながら滑らかな運動を実現する。

さらにそれは単なるトラベリング1にとどまらず、実はカメラがゆっくりと円周運動を行っていることもある。ルイーズとドナティ男爵が舞踏会でワルツを踊るシーンの2つ目のショットでは、ふたりは踊りながら合奏団の周りを移動しており、その動きに沿ってカメラも大きな円を描くようにゆるやかに移動している。また踊り続けるふたりの前を、同じようにワルツを踊る他のカップルたちが横切ることで、メリーゴーランドのような重層的な運動が織りなされる。

このように『たそがれの女心』は、物語の主軸をなす耳飾りの流動、人物を追うカメラのゆるやかな回転、そしてカップルのダンスなど、さまざまな回転運動から成り立っており、それは大きな流れから小さな運動といった入子状を形成する。物語から画面の中のイメージ、そしてカメラの移動といった異なる次元による回転の表現はまた、この映画のなかに複層的なリズムを生み出すのだ。


しかし『たそがれの女心』は、ただ回転するだけの映画ではない。回転運動を行う人物やオブジェは、その運動とともにつねに「変容」していく。たとえばルイーズの耳飾りは、もともと夫からのプレゼントであったにもかかわらず、他人の手を経由してドナティ男爵から手渡されることで、彼との愛の絆を示すものへと変貌する。またルイーズとドナティ男爵は舞踏会でワルツを踊るたびに親密になっていく。「4日ぶりに会えた」「2日ぶりだ」「24時間ぶりだ」とドナティ男爵はだんだんその待ち遠しさに耐えきれなくなるとともに、ルイーズの気持ちも変化し昂まっていく。

あるものから別のものへの変容。その中でも突出しているのは、ルイーズが列車から手紙を破り捨てるときのシーンである。小旅行の帰り道、ルイーズは列車のなかでドナティ男爵への手紙を書き綴るも中断し、それを破って窓の外へ捨てる。散り散りになった手紙がひらひらと空を舞うと、列車の煙が画面を覆う。そしてカメラが少しずつ右に移動すると、自然の雪景色が現れて手紙の紙片はやがて雪に変わる。ただ白い花びらのような物体の変化が画面に映し出されるだけで、ルイーズの顔を映すことも細やかにその心情を明かすこともない。この場面は、季節や時間の移り変わり、あるいは人物の心情の変化を示しているとも受け取れるが、あくまでも観客の想像力に委ねられている。このようにオフュルスはわかりやすい場面転換や説明的なシーンを使わず、あくまでも流れるような映像表現のなかに変容を描くのだ。気づいたら何かが変化していて、観客はその変化に立ち会う。私たちはその度に、即座には言語化できない感覚を呼び起こされるだろう。


ここまで見てきたように、この映画は回転しながら少しずつ変化していく。物語もまた円環を閉じることなく回転しながら少しずつ軸を逸れていき、結末は宙吊りのまま終わる。その先のイメージや物語のゆくえを開かれたままにすることで、最終的には観客が自由に想像できる余地を残しておくのだ。

そして『たそがれの女心』における回転運動は、まさに「映画」そのものであるとも言える。映画もまた、映写機にかけられたフィルムの回転運動によってたえず変化し続ける映像イメージを、スクリーンに投影し映し出す機械装置であるからだ。(オフュルスにおける回転とフィルムとの関係については、1950年に公開された『輪舞』を想起させる。アントン・ウォルブルック演じる狂言回しがメリーゴーランドを廻しながらさまざまな男女の恋愛模様を語っていくが、物語の途中でフィルムを切ってしまい、任意の場所で貼り付けるというメタ的な場面がある。オフュルスにとって回転は、フィルムや語りの行為と密接に結びつくモチーフであったとも考えられる。)

ちなみにこの映画の原題は「Madame de…」(マダム・ドゥ…)であり、フランス語で「〜夫人」「某夫人」という意味になる。ドナティ男爵がルイーズに名前を尋ねたときに「〜夫人」の部分しか聞き取れなかった場面のセリフがそのままタイトルになっているが、その名前は最後まで明かされることはない。また「Madame de…」にはmとdがくり返されており、まるでmとdが永遠に続いていくかのようにも見える。しかし本来ならその続きには苗字が入るはずで、結婚相手が変わればその次に来る名前も変わるわけである。オフュルスが意図していたかどうかはわからないが、タイトルにも「回転」と「変容」の主題を見出すことができるのは偶然ではないかもしれない。


『たそがれの女心』
監督:マックス・オフュルス
1953年/フランス、イタリア
脚本:マルセル・アシャール、マックス・オフュルス、アネット・ワドマン
原作:ルイーズ・ド・ヴィルモラン
撮影:クリスチャン・マトラ
衣装:ジョルジュ・アンネンコフ、ロジーヌ・ドラマール
美術:ジャン・ドーボンヌ
音楽:オスカー・シュトラウス、ジョルジュ・ヴァン・パリ
編集:ボリス・レウィン
製作:フランコ・ロンドン・フィルム、アンデュスフィルムズ、リッツォーリ・フィルム
プロデューサー:アンリ・ドイチュマイスター
キャスト:ダニエル・ダリュー、シャルル・ボワイエ、ヴィットリオ・デ・シーカ など
配給:ゴーモン

Madame de…
Réalisation : Max Ophüls
1953 / France, Italie
Scénario : Marcel Achard, Max Ophüls, Annette Wademant
d’après roman de Louise de Vilmorin
Image : Christian Matras
Costumes : George Annenkov, Rosine Delamare
Décors : Jean d’Eaubonne
Musique : Oscar Straus, Georges van Parys
Montage : Borys Lewyn
Production : Franco-London-Films, Indusfilms, Rizzoli Films
Producteur : Henry Deutschmeister
Interprétation : Danielle Darrieux, Charles Boyer, Vittorio De Sica etc.
Distributeur : Gaumont

  1. トラベリング:移動しながら被写体を撮影すること。移動撮影、トラッキングショットとも言う。 ↩︎