Jeux de mots

今月のことばあそび

毎月変わるお題と文字数に合わせて、自由に自己表現を楽しむ場所


日常の観察、レーモン・クノー『文体練習』の総集編

レーモン・クノー『文体練習』を参考に日常の一場面を切り取る。メモや「虹の七色」や「触覚」のようにレーモン・クノーの形式を使用しても良い。
独自の視点を取り入れて、新しいジャンルを作るなど、自由な形式。


フランスでのある日の日記

Kazu Fujimoto

数日前から風邪を引き、鼻水と咳。今日は、だいぶ調子を取り戻した。
夕方までごろごろして過ごし、お腹も空いていなかったので散歩に出かけた。

そう言えば、以前、ある友だちがグループラインに送ってくれた「ビルボード」を聴いてみようと思った。言わば彼オリジナルの音楽のプレイリストで、そこには10曲のダンスミュージックが並んでいる。彼は、その一つ一つにコメントをつけている。「みんなが揃って同じステップを踏むダンスと言ったらこの曲しかあるまいて」といったような短いコメントだ。親切心(?)から何人かがスタンプを返したが、誰からもコメントがないままに、トーク画面に残ったままであった。

ドナ・サマーやベリンダ・カーライルなど、彼独自の視点で束ねられた一曲一曲を口ずさみながらAvenue Fochを散歩した。ドナ・サマーは「Hot Stuff」ではなく「I Don’t Wanna Get Hurt」というところが良い。「Eat You Up」は、近年日本でも流行った曲だが、ここまでやけになって同じメロディを繰り返すのもなかなか面白いものだ。「Heaven Is a Place on Earth」も有名な曲だが、Aメロを聴いてみるとこんなに素敵な声をしていたものかとびっくりする。9曲目には、チャーリー・ウィルソンの「Good Time」がかかるが、突然電子音が鳴りひびき、それまでの懐メロとのギャップに驚く。コメントには「みんないい時間を過ごそうじゃないか」とある。これには再考の余地がある気もする。

それにしても、どうしてこんなに素晴らしいプレイリストを今まで見過ごしていたのだろうか。有名な曲であっても、こうして友だちに勧められたのだから、きちんと聴き直してみようという気持ちが湧いてくる。彼は改めてリスペクトを持って音楽を聴く機会を与えてくれたとも言える。あらかじめ態度や評価を決めることなく(あるいは、態度や評価を付けるためだけに聴くのではなく)、音楽が自然と自分に聴かせるものに注意深く耳を傾けること、そのことを彼は教えてくれた。


日常の復権

Haruna Takano

わたしは現在とある文房具屋ではたらいているが、今の仕事を始めてもうすぐ8ヶ月になる。朝9時前に起きて10時に家を出る。世間的には早起きとはみなされない時間だが、朝が弱い自分にとってはまだまだ眠気がとれず、重たい身体を引きずりながら電車に揺られて職場に向かう。職場では体を動かし常に頭もいっぱいいっぱいで、人並み以下の仕事を必死にこなす有様である。

こうした日々を8ヶ月つづけているのだから、これが私の日常なはずなのだが、なぜか日常が失われつつあるような、率直に言えばそんな感覚がある。日々のくり返しが日常として根づいていないような感覚。

ある日お店のドアの窓ガラスから、2匹の鳩が歩道を歩いているのを見かけた。わたしはその可愛らしい姿に目を止め、心の中で彼らに挨拶をした。その時ふと、「あ、これがわたしの日常だ」と思った。

普通「日常」というのは「客観的な日々の行動や予定」を意味するわけだが、わたしにとっての日常は、「自分の心の赴くところ」にあるのかもしれない。コミュニケーション下手で内向きな人間にとっては、仕事にしろ学校にしろ、他人に囲まれながら自分の内面性を大切にすることはむつかしい。しかしわたしは「日常」を取り戻すために、いま一度自分自身を削っている屑をかき集め、はっとする瞬間のアンテナを研ぎ澄ませなければいけないようだ。まずはこうして「書く」ことから。


2つの朝、聴覚

Mio Akamatsu

台所からは、コトコトグツグツプシュー、
太陽がぬっと顔を出した瞬間から慌ただしく火の音が行き交う。
太陽の脚が出た頃に、近所の子供達の声がエコーし始める。
ご飯が炊けたのを知らせるのは「アマリリス」。
諸説あるが、ルイ13世の時代に宮廷で歌われた恋のメロディらしい。
それが日本の台所に届いたら、朝ごはんの時間。

母と、離れた祖母との恒例の朝のビデオ会話にはノイズキャンセリングをする。
6月の朝、空気清浄機と除湿機の風がヒューヒューと部屋中に流れている。
私が乗った飛行機は地球を揺らし、
地響きと共に別の日常へ着陸。

朝日と小鳥のさえずりで目覚めるはずもなく、
一度も姿を見たことがない鳥の大合唱で起床。
遠くの朝焼けを眺めていたら、サイレンの叫びが近づいてくる。
頼りない空気清浄機の呼吸に耳をすませる。
むくりと体を起こすとベッドの軋みが部屋中に響く。

裸足でペタペタと、斜めのフローリングを滑るように歩く。
電気ケトルでお湯が沸いたら、微かにカチリと鳴る。
コーヒーのコポコポ音は、どこにいても自分の生活に共通していて安心する。



日常ー鼻

Miyako Ebata

メモ.
6月中旬、結婚を機に相手の家に同居する形で引っ越した。
当然のように異なる生活様式に、慣れるまで心はざわつく。
だからか、朝起きて夜床につくまで家で過ごすこと以上に、外へ出て街を歩きながら私の日常を自然と探し求めていた。図書館へ行ったり映画を観に行ったり、本屋をぶらついたりちょっとひと息ついたり。自分のペースというものを取り戻そうとするように。

しかし、決して行動様式だけが日常を作るのではないと、私のいささか過敏な嗅覚が告げる。

自分のものを片付けながら手にとったリネンのベッドシーツに、少し前の日常の香りをとらえる。
いまだ「人の家」の洗剤や柔軟剤の香りと認識する嗅覚は、馴染みの香りを感知することで、少しずつ新しい日常に移行しようと、溶け込もうとしている。


鼻.
ほんの2週間ほど前、私と共に鼻も引っ越した。車で片道50分ほどの距離だが、遊びにしか行ったことのない場所である。
最初のうち、鼻は目や耳よりもぎこちなく動いていた。手と足がちぐはぐのリズムを打つように、そして時折居場所がわからず立ち止まっていた。
あるとき、クローゼットにしまっていたベッドシーツを見つけた鼻は、その香りを吸い込んでいつもより元気な様子を見せた。今は新しい香りをひとつずつ触りながら、怖がらずに近づいている。今日も健気である。